「観光」の奥にある“見えない宝物”へ ――雪国×縄文で見えてきた「あわい旅」の可能性

美しい景色、おいしい食、歴史ある場所。旅には、目に見えるたくさんの魅力があります。

けれど、その奥にはまだ、目には見えない大切なものがあるのではないでしょうか。

その土地の人は自然とどう関わり、何に感謝し、いのちをどういただき、何を次の世代へ手渡してきたのか。
土地に積み重なった時間、人と自然との関係、祈りや暮らしの中に息づく精神性。

2026年5月、雪国観光圏のみなさんとともに、「雪国×縄文の精神性を感じる あわい旅」の実証研究を行いました。


「観光」の奥にある「観暗」

「あわい旅」は、
日本の精神性を感じる旅――見えないものを観、聞こえない声を聴く旅
をテーマにした研究です。

景色を見て、食を楽しみ、写真を撮る。そんな旅にはもちろん大きな魅力があります。
一方で、その土地の人が何を大切にし、自然や他のいのちとどのような関係を結んできたのかは、短い滞在の中ではなかなか見えてきません。

観光が「見えているものを観る旅」だとしたら、
その奥にある精神性や、まだ価値として十分に見えていないものに光を当て直す。

私たちは、それを「観暗(かんあん)」と名付けました。

では、「観暗」とは具体的にどんな旅なのでしょうか。
同じ場所を訪れても、旅人の「受け取り方」が変わることで、そこから見えてくるものは変わるのでしょうか。

まずは、今回の3日間を5分にまとめた映像をご覧ください。

「雪国×縄文 あわい旅」映像 
https://jrc.jalan.net/movies/8079/

雪国文化との出会いから生まれた旅

今回実証研究をご一緒した雪国観光圏では、 
半年近く深い雪に覆われる環境の中で、長い時間をかけて「雪とともに生きる文化」が育まれてきました。

雪解けの春に芽吹く山菜をありがたくいただき、保存して冬へつなぐ。 
雪は暮らしを厳しくする一方、水となって森や田畑を潤し、いのちを育てる。 
信濃川流域には、国宝・火焔型土器に象徴される縄文文化も残っています。

雪国観光圏のみなさん自身も、以前から「雪国文化」を旅人に感じてもらうことを大切にされてきました。 
そこに「あわい旅」の問いが重なり、ご縁をいただいて今回の実証研究が生まれました。

今回の実証研究では、まず雪国観光圏の中でも、 
雪国文化や縄文の精神性、人と自然との関係が色濃く感じられる場所や人を、 
地域のみなさんと相談しながら丁寧に選びました。


そして同じくらい大切にしたのが、そこで旅人がどう受け取るか」です。


絶景ではカメラを向ける前に、まず身体をその土地に置く。
食では、完成した料理だけでなく、その前にある土や季節、いのちに触れる。
歴史は知識として学ぶだけでなく、知った上で実際の土地に立ってみる。

さらに「観光客」として何かを消費しにいくのではなく、
地域の大切なものに、敬意をもってそっと触れさせていただく

「何に出会うか」と「どう出会うか」。
その両方を丁寧に設計したのが、今回のあわい旅です

ここからは、いくつかの場面を通して、その違いをご紹介します。


絶景を「見る」から、土地を「感じる」へ

早朝、訪れたのは星峠の棚田でした。

観光で訪れれば、「きれいだね」と話しながら写真を撮り、しばらく眺めて次の場所へ向かう。 
実際、周囲にはそんなふうに棚田を楽しむ人たちの姿もありました。

あわい旅では、まずカメラを置きました。

静かに目を閉じ、自分が一本の木になったように、足元から根を伸ばしていく。 
土の中の微生物や石、水、植物、その土地に生きるさまざまないのちへ。 
そして、この土地をつくり、守り、受け継いできた人々や祖先へと意識を広げていきました。

風が身体に触れる。水や鳥、カエルの声が聞こえる。光を感じる。

目の前の棚田を外から「眺める」のではなく、
自分自身も、この土地の長い時間といのちのつながりの中にいることを感じてみる

旅人からは後に、

地のリズムに、自分のリズムが合ってくる
心が地に置かれる感覚

という言葉が生まれました。

続いて訪れたブナ林「美人林」では、さらに一人になる時間をとりました。

まず五感をひらき、森の中をゆっくり歩く。 
どちらへ行くかを頭で決めるのではなく、 
森のどこかから自分が呼ばれているように感じる方向へ歩いてみる。 
それぞれが「ここだ」と感じる自分の居場所を見つけ、 
約1時間、誰とも話さず一人で森と過ごしました。

その後、再び人の声が森に入ってきたとき、
小さないきものが緊張する様子に気づいた旅人がいました。

「自分も普段は、話しながら写真を撮り、自然を外から“見る側”だった」

そのとき、自然を人間が見るだけではなく、 
自然や他のいのちの側に立って、人間を見てみるという視点が生まれました。

自然を人間が見るだけではなく、自然や他のいのちの側から、人間を見てみる

旅の後、地域ホストの一人からは、

自然を見ていた。でも、自然を感じていなかったんだな、と気づいた

という言葉も生まれました。

旅人だけでなく、その土地をよく知る地域の方自身にとっても、 
土地に出会い直す時間になったことが印象的でした。


「知る」ことで、見えなかった時間が見えてくる

今回の旅で重要な役割を担ってくださったのが、
縄文文化や雪国文化に精通する佐藤雅一さんです。

まず縄文施設で、竪穴式住居や火焔型土器、雪国の縄文人の暮らしについてお話を伺いました。 
その後、佐藤さんと実際に遺構が発掘されたフィールドへ向かいました。

佐藤さんにとっても、普段は施設で解説することが中心で、 
来訪者と一緒にフィールドまで出て伝えるのは初めてだったそうです。

何も知らずにそこへ行けば、
私たちには、草の生えた「ただの原っぱ」に見えたかもしれません。

けれど、その少し前まで竪穴式住居や当時の暮らしを思い描いていたからでしょうか。
その場所に立った瞬間、

ここで、何千年も前、本当に人が暮らしていたんだ

と、時間の感覚が変わりました。

今はもう、住居も人も見えません。
それでも、ここで火を囲み、食べ、眠り、子どもを育てた人々の暮らしが、目の前の土地に重なって感じられる。

知ることで初めて、見えてくるものがある。
身体をその土地へ運ぶことで、知識が体感に変わる。

「見えないものを観る」とは、ただ感覚をひらくことだけではありません。
土地の歴史や物語を知ることで、今は目に見えない時間まで感じられるようになる。

これも、今回見えてきた「観暗」の大切な一面でした。


春の山菜から見えてきた、いのちの循環

旅では、山菜採り名人の小堺眞一さん(しんちゃん)や、松之山温泉「ひなの宿 ちとせ」の柳一成さんとともに山へ入りました。

山菜を採るときに教えていただいたのは、名前や食べ方だけではありません。
採れるだけ採るのではなく、来年もまた芽吹くように残しながら、必要な分をいただく。

春に芽吹いたいのちをいただき、その先のいのちまで思って残す。
雪国で自然とともに暮らしてきた人たちにとっては、
ことさらに語るほどでもない「あたりまえ」のことなのかもしれません。

その後は、柳一成さん・明美さんご夫妻とともに山菜を下ごしらえし、料理し、同じ食卓を囲みました。

「はい、それじゃあ皮むいて」と一緒に手を動かしているうちに、 
お客さまと提供者という境界も少し薄くなっていきます。

自分たちが山でいただいてきたものを共に料理し、 
それを囲んでゆっくり話しながら食べる。

旅人の振り返りでは、 
地域に「つながる」というより、暮らしの中に少し「混ざる」ような感覚だった、 
という言葉が出ました。 
それを聞いた一成さんも、 
「“つながる”より、“混ざる”という言葉がいい」と共感してくださいました。

柳さんご夫妻からも、今回の旅人たちは、 
普段訪れるお客さまとはまた違う感度で、 
自分たちが大切にしていることを受け取ってくれた、 
という言葉がありました。

これは単に「地域の人と交流した」ということとは、少し違うように思います。

山に入り、いのちをいただき、その土地で暮らしてきた人と一緒に手を動かし、 
同じものを食べ、その人が大切にしていることに耳を澄ます。

食を入り口に、その土地の暮らしや自然との関係の中へ、少し混ざらせていただく

都会で暮らしていると、食べものは「商品」として突然目の前に現れ、 
その前にあった土や雨、季節、いのち、人の手、 
そして次の芽吹きまでを意識する機会は多くありません。

ここでは、それらが一つの循環としてつながっていました。

その「あたりまえ」の中に、私たちが日常では忘れがちな、 
自分のいのちは、他のいのちをいただき、大きな循環の中で生かされている 
という感覚がありました。


水、森、木――時間を超えて、いのちのつながりへ

旅では、「人間だけ」「今だけ」という視点から少し離れ、
自分より長い時間や、目には見えないつながりに意識をひらく場面もありました。

龍ヶ窪は、地域の人々が古くから大切にし、守ってきた場所です。

雪が降り、大地に染み込み、長い時間を経て水となって湧き出す。 
その水が森や田畑を潤し、人々の暮らしを支え、最後には自分たちの身体にも入ってくる。

目の前の一杯の水の中に、雪、大地、森、そして長い時間がある。

「名水を飲む」という体験の奥に、 
自分自身も、この土地の長い水の循環の中で生かされていると 
いう感覚が立ち上がってきました。

そして私たちは、水をいただくだけでなく、 
そこで静かに祈る時間をとりました。

この土地に入らせていただいていること。ここへ来るご縁をいただいたこと。 
この場所を守り、つないできた人々や、ここにあるいのちに、挨拶と感謝を伝える。

今目の前に見えているものだけでなく、 
この場所に積み重なってきた時間や、人の営み、自然、 
そして目には見えない存在との関係にまで意識をひらいてみる。

それも、「観暗」で大切にしていることの一つです。

秋山郷では、「かたくりの宿」の渡邊泰成さんの案内で、見倉集落の奥にある森へ入りました。

向かったのは、樹齢500〜600年ともいわれる大きな栃ノ木。

私たちは「巨木を見にいく」というより、
長老の木に会いにいく”という気持ちで森へ入りました。
途中から言葉を交わすのをやめ、森の音を聞きながら静かに歩きます。

長老の木の前に着くと、それぞれが好きな場所に座り、しばらく静かに過ごしました。

足元の土、木々、鳥、風、この土地に生きるさまざまないのち。
そして、自分より前に生きた祖先、これから生まれてくる子孫へと意識を広げていく。

時間も空間も越えたつながりの中に、自分を置いてみる

500年以上、雪を受け、春を迎え続けてきた栃ノ木。
縄文の時代から、人々が手間をかけて実を食べてきた木でもあります。

その前に身体を置くことで、 
人間だけでも、今だけでもない、 
大きな時間といのちのつながりの中に自分もいる 
ことを感じる時間になりました。


見えないからこそ、失われても気づかれにくいもの

秋山郷では、マタギの福原和人さんからお話を伺いました。

マタギは単に熊を撃つハンターではありません。 
山の神様への信仰とともに山へ入り、熊を自分が獲得した「獲物」ではなく、 
山の神様からの「授かり物」としていただく。

福原さんは、その精神性を受け継いできました。

しかし残念ながら、その継ぎ手はほとんどいません。

「後継者がいなくなったら、地域は何を失うのでしょう?」と尋ねると、

「物理的には、大きな影響はないかもしれない。精神的なものだから、感じていなければ問題にはならない」

という答えが返ってきました。

これほど大切に守ってきた方からの言葉に驚き、問いの主語を変えてみました。

では、人類が、地球が、この精神性を失ったら、何を失うと思いますか?

福原さんはしばらく「うーん……」と考えた後、

……ある意味、財産かな。お金という意味ではなくて。宝物というか

と答えてくださいました。

目に見えないものは、なくなっても明日の暮らしがすぐ困るわけではありません。

だからこそ、大切さに気づかれないまま、静かに消えていくことがある。

まだ「価値」とさえ呼ばれていないものに、失われる前に気づくことはできないだろうか

この問いは、「あわい旅」の研究そのものにも深くつながっています。


旅人の「受け取り方」が変わると、地域の「届け方」も変わる

旅の後、旅人からはさまざまな言葉が生まれました。

「本当の豊かさ」
「もう“観暗”のない旅はできない」
「知る、から“混ざる・ふれる”へ」

そして、

「旅ではたくさん移動したけれど、本当の『あわい旅』の移動は、自分の中で起きていた」

という言葉も印象的でした。

一方、地域のみなさんからも、 
「自分たち自身にも再発見があった」 
「知識と体感をつなげてみたい」 
「コンテンツを変えるのではなく、届け方を考えることが大切」
といった声がありました。


今回、特に大きな発見だったのが、

旅人の「受け取り方」が変わると、地域の「届け方」も変わる

ということです。

旅人が「消費者」として訪れれば、地域は「提供者」になりやすい。

一方、旅人が敬意をもって、 
その土地の大切なものにそっと触れさせていただこうとすると、 
地域の方も、普段は観光客には表に出していない、 
自分が本当に大切にしているものを差し出してくださることがあります。

そして旅人がそれを「これは大切なものだ」と受け取ることで、 
地域の方自身もその価値に気づき直す。

新しい観光資源を次々とつくるのではなく、 
すでにその土地にある“見えない宝物”が、関わりの中で見えてくる。

そこに、あわい旅の一つの可能性を感じています。


旅マエ、旅ナカ、旅アト。そしてAI・インバウンドの時代へ

この「感じる力」をひらくために、あわい旅では、 
これまで16年間取り組んできたコ・クリエーション研究の知見も生かしています。

旅ナカだけでなく、 
旅マエには、土地に入らせていただく心構えや、受け取るための準備をする。 
旅アトには、そこで感じたことを振り返り、日常や仕事、生き方へつなげていく。

旅を一過性の「いい思い出」で終わらせず、 
旅の後にも変化が続いていくことを大切にしています。

AIが多くの情報を整理し、答えを返してくれる時代だからこそ、 
人が身体を持ってその土地へ行き、五感で感じ、 
まだ言葉になっていないものを受け取ることの価値は、 
さらに高まるのではないでしょうか。

また、これまで海外の方々に日本の精神性に触れてもらった別の実証研究では、 
「精神性が日常に溶け込んでいる」 
「世界が忘れたいのちのつながりを思い出させてくれる」 
といった声もありました。

日本で暮らす私たちには当たり前すぎて、見えにくくなっているもの。 
それが海外から見ると、日本を旅する大きな理由になる可能性もあります。

有名な観光地だけではなく、 
日本各地に残る人と自然との関係、暮らし、精神性そのものに出会う旅。

それはインバウンドの地域分散だけではなく、 
日本をただ「消費する」のではなく、 
その土地を大切にしてきた人々への敬意とともに、 
日本に触れる旅にもつながるのではないかと考えています。


皆さんの地域の“見えない宝物”は?

どの地域にも、長い時間をかけて大切に受け継がれてきたものがあると思います。

一方で、目に見えないものほど、 
その価値に気づかないまま失われていくこともあります。

皆さんの地域の“見えない宝物”は、何でしょうか

今後も日本各地で「あわい旅」の実証研究を重ねていきます。

その土地にすでにある大切な価値を、どうすれば深く感じてもらえるのか。
消費するのではなく、敬意をもって触れながら、どう未来へつないでいけるのか。

それぞれの土地のみなさんと実践しながら、
まだ「価値」とさえ呼ばれていない“見えない宝物”に気づき、
未来へつないでいく旅のあり方
を探究していきます。




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今回の旅をともにつくってくださった地域の皆さま

井口 智裕さん(一般社団法人雪国観光圏 代表理事)
小堺 眞一さん(山菜採り名人/しんちゃん)
柳 一成さん・明美さん(ひなの宿 ちとせ)
佐藤 雅一さん(縄文研究者)
渡邊 泰成さん(かたくりの宿)
福原 和人さん(マタギ)
玉木 有紀子さん(NPO法人越後妻有里山協働機構理事)
石沢 久和さん(隠れ家テラス みくらす)
ほか、雪国観光圏・地域のみなさま

三田 愛(さんだ あい)/研究員

<三田研究員の研究内容はこちら>

▼研究年鑑2026
「日本の精神性を感じる旅研究 見えないものを観る“あわい旅”」
https://jrc.jalan.net/wp-content/uploads/2026/03/2026-nenkan-theme5.pdf

▼地球コクリ!ホームページ
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