BACH代表/ブックディレクター

幅允孝

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読むという行為を考え抜き本を楽しむ場を広げる

読書の価値とは何か。そして「読まれない」と言われる時代の本の仕事とは。「人に本を届ける」ための考え方には、人に旅を届けるためのヒントも詰まっている。

略歴

1976年愛知県生まれ。書店員を経て2005年有限会社BACHを創業。神奈川県立図書館、外務省「JAPAN HOUSE」等多様な施設でのライブラリー制作、NHK『理想的本箱』での選書等、本をツールとしたさまざまな活動を展開している

「読書行為は一人でしかできないから、 大きな数字を考える必要はない。 この一冊を、最初の一人に どう届けるかを考えています。」

「よい本を選ぶ」だけでなく「差し出し方」を考え抜く

幅氏が本の世界に飛び込んだのは、紙の本の市場がピークを過ぎた1990年代の終盤。店頭で本を手に取る人が減っていく中、「どうすれば本を人に届けられるか」を考えた結果、「書店に人が来ないなら、人がいる場所に本を持っていこう」と考えるに至る。以来、カフェ、ホテル、公共施設等々、さまざまな場所にライブラリーを作り続けてきた。
現在、活動のメインは「図書館」を作ること。その中でも変わらず 「どう届けるか」を考えている。「何でもそうですけど、雑に渡されるのと丁寧に差し出されるのとでは受け取る側の感じ方が違いますよね。今は、いい本を選んでバサッと置いておくだけでみんなが読んでくれる時代じゃないから、 本当に届けたければ『差し出し方』 も大事。そう考えるようになってから、私たちの仕事の領域はすごく広がっています」 たとえば図書館でどこにどの本があるかを示すサインの入れ方。 世界中の本を網羅できるネットライブラリに対し、図書館に並ぶ紙の本はすべて「選ばれた」ものであり、その理由を示すことで届きやすくなる。あるいはインテリアの計画。哲学や心理学のような没入に時間のかかる本であれば、書架の前には毛足の長いカーペットを敷き、椅子の座面を低くして居心地よく。薄暗く落ち着ける空間を活かすときでも、ライトはしっかり手もとに落ちるように。そうやって「気が付けば読んでいた」 という環境から整え、どこまでも「届くこと」を目指す。

対象の解像度を上げることでやるべきことがクリアになる

一方で、「多くの人に読まれること」はそれほど意識しない。目指すのは「一人目の読者の獲得」だ。
「図書館を作るときには地域の人にたくさんインタビューをします。それでも、皆にとってよい本なんて分かりません。それなら、まず誰か一人が強く『読みたい』という本を入れる。するとその一人が、三人、五人と広がっていくのです」
そもそも紙の本を読むという行為は一人でしかできない。「そういうものを扱う以上は、単位を小さくして考えるのが基本」と幅氏。だから「何万人とか何億円とか大きな数字を動かすことを考えなくたっていい。自分が両手を伸ばした範囲の中で、やれることの精度を上げるだけ」。そしてそう考えるから「本が売れなくて悲しいとか、あまり思ったことがないんですよね」と健やかな心持ちでいられる。読書という行為について考え抜き、高い解像度で捉えているからこその境地。そういえば幅氏は自らの経歴について「本が売れなくなる時代にキャリアをスタートすることができた」と表現した。「売れる」状況であれば探求されないようなことも、「届かない」ストレスがあったからこそ検証し、解像度を高めることができたのだ。

楽しみ方を伝えるにはやり方を教えることも必要

当たり前のことだが、本は自分から読まないと進まない。逆に読んでいる最中に止まって考えることもできる。配信プラットフォームで、黙っていてもコンテンツが「流れてくる」現代においては、「そういった主体性が削がれていく」と幅氏は指摘する。読書はそんな状況に抗う手段になり得るが、旅行も同じだ。
「若い頃に行ったバックパック旅行では、お金はないし、体調は崩すし、大変な思いでようやく目的地に着いたら意外に残念だったりもしたけれど、おかげで物事を相対化することができ、自分の言葉で語れるようになりました」
本も旅も、自分の知らない価値観に出合う面白さがある。しかし、最初から「分かろう」と思って臨むわけでもないし、「全然分からなかった」で終わることもある。そんな経験も決して「失敗」ではなく、そうした経験を繰り返しながら自分の考えができていく。ただ「それでいい」と教える場はないのが現状で、そうした「最初の一歩」を教える場があってもよいのではないかと幅氏は考えている。
「メディアの種類も増えた今、読書については、『こういうときは紙で読んだ方がよい』『これは検索で』『これはSNSで』といったことを教えることも必要だと思うんですよね。今後はそういうプログラム作りにも取り組んでいこうと思っています」

写真集『改修前 前川國男設計 神奈川県立図書館』は神奈川県立図書館内の猿田彦珈琲店でのみ販売。本の持つ「時間の遅さ」に合わせ、敢えてネット販売をしていない

中央館機能と理想の読書空間を表現した『神奈川県立図書館』

幅氏が手掛ける公共図書館事業の一つが神奈川県立図書館リニューアル。新本館は、国立国会図書館も設計した建築家・前川國男による旧本館の意匠を引き継ぎつつ、紙の資料を保存する「中央館」としての役割と、来館者に本を「届ける」機能を備えた空間として生まれ変わった。改修中の旧本館は、ホローブリック(中空レンガ)による柔らかい光など読書に適した意匠で知られ、幅氏はこの旧本館の改修前の姿を収めた写真集の制作にも携わった。

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長谷川あかり

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山下浩平
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